大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(う)625号 判決

本籍

韓国済州道旧左面東金寧里一四九二

住居

大阪市天王寺区勝山通二丁目一四八番地

飲食店経営

西条公章こと

金基彦

大正一五年三月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五〇年三月一七日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人瞿曇竧、同林弘から控訴の申し立てがあったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 小林照佳 出席

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人瞿曇竧、同林弘連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事広石正雄作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一について

論旨は、要するに、昌慶苑の簿外仕入れに関し昌慶苑は昭和四一年一二月株式会社となったが、その後の同会社の確定申告書(青色)添付の損益計算書によると、右法人成り後三事業年度の原価率(売上原価と売上高の比率をいう、)は、昭和四一年一二月二二日から同四二年一〇月三一日までの間は五六・七パーセント、同四二年一一月一日から同四三年一〇月三一日までの間は六〇・六パーセント、同四三年一一月一日から同四四年一〇月三一日までの間は五四・二パーセントであるところ、原審第五〇回公判調書中、昭和三八年、同三九年当時と法人成り以降とでは原価率の変動はほとんどなかった旨の被告人の供述記載のほか、右法人成り後三事業年度の原価率の変動巾が小さいこと、ならびに、本件犯則年分は右三事業年度と時期的に近接していること等の点に徴すると、昌慶苑の原価率は法人成りの前後によってほとんど変動がなかったものとみられるから、本件犯則年分の原価率は、法人成り後三事業年度のそれの平均値である五七・二三パーセントか、少なくともその間の最小値である五四・二パーセントを下らないものと考えられるのに、原判決の認容した検察官主張の売上高および売上原価によると、昭和三八年分の原価率は三九・七四パーセント、昭和三九年分のそれは四一・五七パーセントとなり、右法人成り後の原価率を大巾に下廻っているのは明らかに不合理である。これは原判決が弁護人主張の多額の簿外仕入れを不当に否認したためであり、原判決は原価率が法人成り後の前記平均値が、少なくとも最小値と同程度になるまで簿外仕入れを認容すべきであったのであり、この点原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある、というのである。

よって検討するに、まず、弁護人のいう原価率とは、売上原価(本件においては材料の仕入高とほぼ同じである)と売上高の比率を意味するのであるから、それは仕入材料の単価と売上商品の単価の比率に仕入材料の量と売上商品の量の比率を乗じたものとほぼ同じであり、したがって、原価率が変動する要因としては、仕入材料の単価と売上商品のそれの一方のみの変動または両者の異なる割合による変動、ならびに、本件の場合は仕入材料により調理の過程で商品とならない部分を除去することがあるが、その除去の方法や程度の差異、したがってまた、仕入材料の品質の良否、あるいは、売上全体において各種商品の占める割合の変動等を挙げることができ、なお、売上商品の単価は同商品の一人前もしくは一皿の量の増減によっても実質的に変化するものである。それゆえ、原価率は、同一の企業で、しかも、営業の場所、規模、形態にさほど変化がない場合でも変動しうるわけであり、前記のような要因の存在が窺われる以上、原価率が変動すること自体は格別不合理なことではないということができる。もっとも、ある企業のある時期における原価率が、特段の事情も存しないのに、同種企業の原価率の平均値あるいは当該企業の異なる時期の原価率と極端に相違する場合は、当該原価率の基礎となった売上高ないし売上原価の認定に誤りの存する疑いが生ずることになるけれども、そのためには、当然のことながら、右にいう同種企業の原価率の平均値または当該企業の異なる時期における原価率が実態に即した信頼性の高いものでなければならないし、また、それは、あくまで一つの間接事実すなわち徴憑であり、他の証拠や徴憑との関係で相対的に評価され取捨されるべきものということができる。

そこで、本件についてみると、原判決の認容した検察官主張の売上高および売上原価による原価率が昭和三八年分においては三九・七四パーセント、昭和三九年分においては四一・五七パーセントであること、ならびに、昌慶苑が株式会社となってからのその確定申告書(青色)添付の損益計算書による原価率が、昭和四一年一二月二二日から同四二年一〇月三一日までの事業年度においては五六・七パーセント、昭和四二年一一月一日から同四三年一〇月三一日までの事業年度においては六〇・六パーセント、昭和四三年一一月一日から同四四年一〇月三一日までの事業年度においては五四・二パーセントであることは所論のとおりである。しかしながら、まず、昌慶苑が株式会社となってからの右各事業年度の確定申告書添付の損益計算書の記載内容およびその計算の基礎となった帳簿書類の記載内容が正確であることの裏付けはなんら存在しない。所論は、昌慶苑が株式会社となって以降同会社に対し税務調査が行われているが、同会社がなした確定申告につき修正が行われたのは、昭和四二年一一月一日から同四三年一〇月三一日までの事業年度において五六六、六二八円を仕入先からのリベートとして処理していたのを従業員水野勝利に対する貸付金として更正を受けた点のみであるから、同会社の確定申告はその経営の実体を正確に表示していると認めるに十分であると主張するけれども、同会社が受けたという税務調査がどのようなものであったか不明であり、たとえ青色申告であっても、確定申告中右の点以外で更正を受けなかったからといって(なお、昭和四三年一一月一日から同四四年一〇月三一日までの事業年度の確定申告についても同じ点で更正を受けている。)、申告書添付の損益計算書およびその計算の基礎となった帳簿書類の記載内容が右の点以外すべて正確であったということにはならない。現に、当審において取り調べた証人片山啓一の供述および調査書類綴によると、本件査察開始後で法人成り直前の期間である昭和四一年一月から同年一二月までの間において、昌慶苑の帳簿上ビール大びん約一万本分の売上除外がなされた疑いが濃厚であり、このことはその前受の時期を通じて昌慶苑の帳簿の記載内容がさほど正確でないことの徴憑であるとみられるのである。したがって、右各申告書添付の損益計算書に記載された売上高および売上原価によって算出された原価率をもって直ちに実態に即した信頼性の高いものということはできない。

他方、原判決が昌慶苑の本件犯則年分における仕入高を検察官主張のとおり認定し、これ以外の弁護人ら主張にかかる簿外仕入れをすべて否認した理由は、要するに、(1)簿外仕入れの資金の出所についての被告人らの主張や供述はきわめて不自然で作為的であり容易に措信できない、(2)弁護人らの主張する簿外仕入れの品目、数量、金額、仕入先等は査察当時被告人らが作成して税務当局へ提出した「嘆願書」と題する書面に記載されているところと大部分同じであるが、右の数量、金額等の正確性について被告人も木村英らもなんら根拠を示しえず明快な説明をしておらず、その数額自体はでたらめなものというほかない、(3)簿外で扱うことのできる現金とその管理体制の存否の点につき、押収にかかる現金出納控(大阪高裁五〇年押二五六号の一)の記載はきわめて詳細であり、少なくとも昌慶苑において木村英が管理していた現金についてはすべて記載されているものと認められる、被告人らは、右とは別に被告人から三日ないし一週間毎に二、三〇万円の現金が木村に渡され、同人がこれを簿外仕入れ等の支払いに当て、その精算はメモだけで行っていた旨説明するが、一方で多額の売上金をわざわざ本名、仮名に分けて預金としながら、他方でこれとは別の現金を仕入れ等に当てるというのは不合理であり、また、木村に対し、一方では詳細な現金出納控を記帳させ自ら割印までして厳格な管理を行っていた被告人が、他方ではそのような記帳をさせずメモにとどめたというのも不自然であり、右の説明は首肯できない、(4)一部の仕入れを簿外で扱う必要性(裏帳簿たる前記現金出納控や支払明細表(前同号の四)等に記載できず、領収証等の確保もできない理由)の有無の点につき、行商人からの仕入れにせよ、荒川ホルモン店等からの仕入れにせよ、第三者への開示を予定せず当事者だけの確認や記録のために作成される裏帳簿にこれを記載できない理由はありえず、被告人らのこの点についての説明もまったく不自然であって納得できない、(5)かりに簿外仕入れが絶無でなかったとしても、その額は仕入れの主たる担当者である木村が査察段階の当初進んで供述した金額を超えることはないと考えられる、けだし、同人が右の段階でわざわざ簿外仕入れの存在を認めてもらいたいとしながらその額を少なく申述する理由はまったくないからであり、この点についての同人の証言はきわめて不自然で納得できない、というのであるが、以上の原判決の判断は被告人らの主張自体や関係各証拠に照らし十分首肯しうるところであり、なんら不合理な点は存しない。加うるに、前記「嘆願書」と題する書面(昭和四〇年一一月二九日付)添付の簿外仕入れ明細表(原審第一二回公判期日において陳述された弁護人作成の「陳述要旨」と題する書面にも同じものが添付されている。)には、簿外仕入れの仕入先として昭和三八年分については記載がなく、昭和三九年分については「西成のほーさん」外六名が被告人ら昌慶苑の者が用いたという呼称のみで記載されているのに(なお、右嘆願書作成の際、右の者らからの簿外仕入れの資料として、数量、金額等内容のでたらめなメモ(前同号の一五ないし一八)を作成している。)、同じく査察当時被告人らが作成して税務当局へ提出した「御願書」と題する書面(昭和四〇年一二月二〇日付)には、簿外仕入れの仕入先として、単に行商人と記載する者のほか、荒川ホルモン店、増井ホルモン店、丸信精肉店、脇田精肉店、いろは精肉店等が各々の所在地とともに記載されており、しかも、原審証人篭本いくゑの供述、脇田香、荒川トミ子、水野勝利の検察官に対する各供述調書および稲沢亨の査察官に対する供述調書によると、昌慶苑は昭和三八、九年当時右各仕入先のうち荒川ホルモン店および脇田精肉店以外とはほとんど取り引きがなく、右二店からの仕入高も前記現金出納控に記載されている程度であったことが認められる。原審証人脇田香、同荒川トミ子の供述は、同人らの右各供述調書の内容および原審証人河田日出男の供述に照らし措信できない。また、右稲沢亨の供述調書および右河田日出男の供述によると、被告人らは、右稲沢亨(丸信精肉店経営者)および脇田香(脇田精肉店番頭)らに対し、実際は取り引きのなかった昭和三八、九年当時取り引きがあったように、あるいは、実際の取引量以上に取り引きがあったように査察官に申述してほしいなどと依頼したことも認められるのであって、以上の諸点に徴しても、前記法人成り後三事業年度の確定申告書添付の損益計算書による原価率が、他の証拠や徴憑に照らし、原判決の売上高ないし売上原価の認定に合理的疑いを生ぜしめるほど信用性が高いものであるとは考えられない。

なお、所論は、昌慶苑の原価率は法人成りの前後によってほとんど変動がなかったと主張し、被告人も、原審第五〇回公判廷において、昭和三八、九年当時と法人成り以降とで昌慶苑の原価率はほとんど変らなかった旨供述し、当審第八回公判廷においても同旨の供述をしているけれども、それとともに、当審第七回および第八回公判廷において、法人となる前の昌慶苑の会計はどんぶり勘定であり、昭和三八、九年頃は原価率について関心もなく記録もしてなかったとか、昭和三八、九年頃の原価率より法人となった直後から二、三年間の原価率の方が五ないし一〇パーセント高かったなどと述べているのであって(右の最後の供述につき被告人は、昭和三八、九年頃の原価率のことを聞かれたのを昭和四八、九年頃の原価率のことを聞かれたものと勘違いして述べたと弁解するが、本件において昭和四八、九年頃の原価率は別段問題となっていないのであるから、右のように聞き違えたというのは不自然である。)、その供述内容は前後において著しく喰い違っており、そのため先の供述もにわかに措信し難く、また、昌慶苑の経理担当者である木村英は、この点につき、原審および当審の証人として、正確な計算をしたことはないが昭和三八年当時の原価率は六割ぐらいだったとか、帳面をつけてないのでよくわからぬが昭和四二年ないし四四年頃の原価率より昭和三八、九年頃の原価率の方が高かったように思うと述べているが、該供述もまた甚だ不明確であってにわかに採用し難い。また、法人成り後三事業年度の原価率の変動巾が比較的小さく(三・九ないし六・四パーセント)、本件犯則年分が右三事業年度と時期的にかなり接近しているからといって、本件犯則年分の原価率が右三事業年度のそれとほぼ同じであると断ずることもできない。かえって、関係証拠によれば、本件犯則年分から右三事業年度にかけて、とりわけ朝鮮料理の主材料である肉類につき仕入材料の単価の上昇率より売上商品の単価の上昇率が低く抑えられる等原価率上昇の要因が存在したことが窺われる(原審において取り調べた右三事業年度の各確定申告書および添付書類の写、ならびに、当審において取り調べた検察事務官作成の報告書およびメニユー一枚参照)。結局、原判決が昌慶苑の本件犯則年分の仕入高を前記支払明細表および現金出納控等に依拠して検察官主張のとおり認定し、それ以外の弁護人ら主張の簿外仕入れをすべて否認したのは相当であり、前記確定申告書添付の損益計算書による原価率と原判決が認定した本件犯則年分の売上高および売上原価に基づく原価率との間に所論のような開きがあるからといって、原判決の右認定に不合理な点があるとはとうてい認められない。

所論は、税務当局は、査察の際昌慶苑の本件犯則年分の貸借対照表を作成したが、損益計算書より純利益が少なく出たので、検察官はこれを法廷に提出しなかったのであり、損益計算書の方が純利益が多くなったのは被告人らの主張する簿外仕入れを不当に否認したためであって、貸借対照表の方が正確であった筈であり、所得計算上決定的に重要な貸借対照表を法廷に提出しなかったのは損益計算書の不正確なことを隠すためであったのである、と主張する。

よって検討するに、所得金額の計算方法には損益計算法と財産増減法とがあり、正確な資料が完備されている限りいずれの方法によっても計算の結果は一致する筈であるが、資料が不備、不正確な場合は両者の間に不突合が生ずるのはむしろ当然のことというべきである。そして、ほ脱犯における所得金額の認定においても、いずれか一方のみの計算方法によること自体は、その方法が当該事案に適切であり、合理的なものである以上なんら違法ではなく、ただ、他の一方の計算方法をも併用しその結果が一致することを確認すれば、それだけその計算結果の確実性が高められることになるわけであるが、それも帳簿書類等資料の関係でその計算方法をとることが可能なことが前提となるのである。関係証拠によると、本件においては、被告人が多額の貸金および頼母子講等の関係の金銭の出納についてほとんど記録を残さず、そのうえ税務調査に対して徹底して非協力的な態度をとったので、この点を解明することができず、そのため資産内容の十分な把握や正確な貸借対照表の作成が不可能となったため(貸借対照表は査察段階において一応作成はしたものの、右の点が原因で正確なものとなりえず、損益計算書との間に不突合が生じた。)、損益計算法のみで立証されることになったことが認められるのであって、右の経緯には格別違法ないし不当な点は存せず、損益計算書に合致する貸借対照表が作成提出されなかったという理由で、損益計算法により算出された本件所得金額の正確性に疑いを容れる余地はなく、所論は独自の見解に基づくものというほかない。

次に、所論は、いわゆる物量計算(各種商品について仕入材料から売上商品をつくる過程を実験し、仕入材料の量と右の過程でこれから除去する部分の量との比率-これをロス率という-を算出すること)は原価率の算定に当り決定的に重要なことであるが、被告人らが査察当時昌慶苑において実施した物量計算によると、当時の昌慶苑全体の原価率が前記法人成り後三事業年度の確定申告書添付の損益計算書による原価率の最低値である五四・二パーセントを下らなかったことが明らかであり、同じく査察当時税務当局が昌慶苑において実施した物量計算による原価率はそれよりさらに高率であったのであり、これらの点からみても原判決の認容した検察官主張の売上高および売上原価による原価率は低きに過ぎるものというべく、検察官が税務当局の行った右の物量計算の結果を法廷に提出しなかったのはその主張にかかる損益計算の不正確さを隠すためであったのである、と主張する。

よって検討するに、物量計算の意味は所論のとおりであり、したがって、一から小数で示すロス率を減じた数の逆数に仕入材料の単価と売上商品の単価の比率を乗じたものが原価率となるのであるから、ロス率や右各単価に関する作業や計算がすべて的確になされれば、それによって正確な原価率が得られる筈であるが、ロス率は仕入材料の品質の良否、あるいは、商品とならない部分の除去の方法や程度によってかなり左右されること、物量計算による原価率の算定に際しては材料が製品(商品)となった後のロスが計算に入れられないこと、ロス率および原価率は各種の商品毎に異なるものであるが、売上全体において各種商品の占める割合が変化することがあること、本件においては各時点における仕入材料の単価と売上商品の単価の比率が必ずしも明らかでないこと、売上単価に影響する一皿または一人前の商品の量はその時々の目分量や手加減によって差異が生じ易いこと等の諸点に徴すると、本件のような場合において物量計算を通じて実態に即した正確な原価率を算出することは弁護人らが主張するほど容易なことではなく、また、右のように不明確な要素の多い物量計算は原価率の算定に当って決定的に重要なものであるとはとうていいえないと考えられるのであって、このような点からみると、査察当時昌慶苑の物量計算に当ったが的確な検査をなしえず明確な結果は得られなかったとする原審証人片山啓一の供述も信用するに足るものと思料され、さらに、被告人らが独自に実施したという物量計算の結果もにわかに採用し難く(該物量計算のロス率については、その数値がたとえばロース、カルピが各三〇、内臓が四〇といった概数的なものであることや原審証人木村英の第三九回公判期日における供述に照らし、果して実際に実験して得たものかどうか疑わしい。)これをもって原判決の認容した検察官主張の売上高および売上原価による原価率が低過ぎて不合理であると断ずることはできないというべきである。

所論は、また、原審証人大谷雄次郎の供述によると、昌慶苑と同じく朝鮮料理店で、昌慶苑より先に査察を受けた食道園の原価率につき、右査察の結果による食道園の原価率は昌慶苑のそれより高かったことが認められ、この事実は原判決の認定による昌慶苑の原価率が実際のそれより低いことの徴憑の一つである、と主張する。

しかしながら、原審証人大谷雄次郎の供述(第三〇回および第四四回公判期日におけるもの)は、要するに、昌慶苑の査察に従事中、参考のため、それより少し先に他の班が査察を行った食道園の事件記録により査察の結果による原価率を調べた、その数値は記憶していないが、昌慶苑の方が低かったのではないかという記憶がある、というものであり、他に所論に副う証拠はないところ(むしろ、原審および当審証人片山啓一は、昌慶苑の査察に従事中食道園の査察結果による原価率のことを聞いたことはないと述べている。)、右大谷の供述によっても、査察の結果食道園の原価率の方が昌慶苑のそれより高かったこと自体必ずしも明確でないばかりでなく、かりに食道園の方が高かったとしても、その差の巾はまったく不明であり、また、食道園の営業の規模や形態も明らかでなく、さらに、右食道園の査察の結果による原価率が果して実態に即したものであったかどうかも不明である。したがって、右大谷の供述をもって、原判決の認容した検察官主張の売上高および売上原価による原価率が実際のそれより低いことの徴憑であるとみることはとうていできない。

さらに、所論は、中小企業庁は、中小企業の経営合理化のための参考資料として、毎年中小企業の経営の実態を調査し、経営に関する諸計数をまとめて「中小企業の経営指標」なる冊子を刊行しているが、それによると、飲食業者の平均原価率は昭和三七年で五五・八パーセント、昭和三九年で五七パーセントであることが認められ、この事実もまた本件犯則年分における昌慶苑の原価率が弁護人ら主張のとおりであることの徴憑の一つである、と主張する。

しかしながら、所論の「中小企業の経営指標」に掲載されている売上高対総利益率(差益率)は、飲食業者全体のものであって、その中には多種多様の飲食業者が含まれており、総資本額により営業規模を四段階に区分するほかはなんら業種業態を区分しておらないこと、ならびに、調査対象とした企業の数も各年共飲食業者全体で一四企業に過ぎずきわめて少ないこと、調査および計算の方法も証拠上明らかでないこと等からみても、右の率と本件犯則年分における昌慶苑の差益率との間にどの程度の近似性があるのか察するに由なく、したがって、右の率をもって本件犯則年分における昌慶苑の原価率が弁護人主張のとおりであることの徴憑とみることはとうていできない。

その他、所論にかんがみ関係各証拠を精査してみても、原判決の簿外仕入れに関する認定に所論のような誤りがあることを窺わせるかどは見当らず、論旨は理由がない。

控訴趣意第二について、

論旨は、要するに、昌慶苑および徳寿宮の簿外経費は原判決の別紙(一)記載の弁護人らの主張のとおりであるところ、原判決は同別紙記載のとおりその一部を認容し一部を否認したが、否認した部分はいずれも事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によると、昌慶苑および徳寿宮の簿外諸経費についての原判決の認定は、すべて首肯しうるところであり、その認定になんら誤りは存しない。

所論は、原判決は、簿外経費に関する弁護人らの主張のうち、同判決別紙(一)番号14および15の昌慶苑および徳寿宮の「暴力団への心付け」の費用をすべて否認し、かりにそのような支出があったとしてもこれを事業遂行上の必要経費として取扱うべきではないとしたが、水商売は営業上暴力団には弱く、これに付け込まれた場合はいくらかの支出をせざるをえず、右の「暴力団への心付け」は実質的には営業店舗を暴力から守るための警備料であり、かつ、その支出行為自体が犯罪行為に該当するような強い反社会性を帯びるものではないのであるから、これを必要経費として取扱うべきである、と主張する、そして、この点につき、被告人および木村英は、原審公判廷において、徳寿宮については、開店当時(昭和三七年一二月頃)やくざが店に来て料理のことで因縁をつけて無理難題を吹つかけたうえ、このようなことが起らないように面倒をみてやるから守賃を出せというので、それに従い、また、昌慶苑については、昭和三六年頃から同様の趣旨で、各店舗とも、やくざの組二組ずつに、一組につき毎月五万円ずつ(盆と年末には別に五万円ずつ)支払っていた、と述べているが、かりにそれが事実であったとしても、そのような支出は事業遂行上通常一般に必要であると客観的に認められる経費支出であるとは認められないから、この点に関する原判決の判断には誤りがなく、所論は理由がない。

控訴趣意第三について、

論旨は、要するに、原判決は、弁護人らの貸倒れの主張につき、佐藤文子、平山繁子、真山輝子に対しては貸付金自体がなかったものと認定したが、これは事実を誤認したものである、というのである。

よって検討するに、被告人および佐藤文子、真山輝子の各供述が信用できない所以は、原判示の諸点のほか、さらに、佐藤、平山、真山はいずれも貸金業を営んでいたというのであるから、債権者たる被告人としては、右佐藤らの倒産後、同人らに代って積極的にその貸金債権を取り立てる等して自己の債権の回収に努めれば、多少なりともその実をあげえたものと思われるのに、前記の者らの供述によれば、被告人は、右佐藤らの倒産後、同人らの債権の取り立てその他財産の整理にまったく関与せず、いささかも自己の債権を回収しておらないのみか、倒産後さほど日時を経ていない時期に、右三名から同人らが借用証代りに、差し入れていた手形の返還を懇願されるや、いずれも容易に、しかも、無条件で返還または破棄したというのであり、それらの供述中、被告人が自己の債権回収に努力した形跡はまったく窺われず、一、〇〇〇万円あるいはそれを超える大口債権者の態度としてはあまりにも消極的に過ぎて不自然であること、佐藤に関してのみであるが、倒産時の債権債務額につき、佐藤は一、〇五〇万円あるいは一、二〇〇万円ないし一、三〇〇万円と述べ、被告人は一、〇二五万円あるいは一、〇〇〇万円ないし一、二〇〇万円と述べており、かかる重要な事項につき供述が区々になっていること、佐藤は、自分の銀行預金や手形債権等は債権者らがてんでに取り立ててしまった旨供述しているところ、被告人は、右佐藤の債権の取り立て等、同人に対する自己の債権の回収行為に出なかった点に関し、前掲「嘆願書」と題する書面では、佐藤に対する債権は同人の逃亡によって回収不能になったと記述し、査察官に対する供述調書では、どうせ債権の回収はできないと思い佐藤の財産の整理には関与しなかった旨述べるとともに、佐藤の資産として二〇〇万円ぐらいの居宅があることも知っていたが、同人がなんとか返済するからというので強硬手段には出なかった旨述べており、また、原審公判廷においては、佐藤が倒産した時は韓国に旅行中であり、帰国後同人と連絡をとろうとしたがどうしてもとることができず、処置の施しようがなかった旨述べているのであって、供述内容に喰い違いがみられ、とくに、倒産時韓国に旅行中であったとの供述は原審公判廷において初めてなされたものであること等の点にもみられるところ、原判決も説示するとおり、帳簿類、銀行関係控、手形、証書等金銭貸借関係の物証がまったく提出されておらない本件においては、被告人ら関係者の供述が信用するに足らない以上、被告人ら主張の金銭貸借の事実はなかったものと認定すべきものと考えられるのであって、この点に関する原判決の認定に不合理な点はなく、その他、所論にかんがみ関係各証拠を精査してみても原判決の当該部分に事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 角敬 裁判官 青木暢茂)

○ 控訴趣意書

被告人 金基彦

右の者に対する所得税法違反被告事件につき左記の通り控訴の趣意をのべる。

昭和五〇年七月一〇日

弁護人 瞿曇竧

同 林弘

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

第一 海外仕入について

(一) 昌慶苑の原価率について

(1) 被告人は従来昌慶苑という商号のもとに飲食店(朝鮮料理)を個人で経営していたが、本件所得税法違反で大阪国税局より査察をうけたことにより、税務対策としてその所得計算を明確ならしめる必要性を痛感し、併せて正確な財務計数を把握することにより経営の実体を的確に認識する必要上から、その営業を法人化することを決意し、昭和四一年一二月株式会社昌慶苑を設立して所謂法人成りをなし、爾来法人税については青色申告をなして現在に至っている。

(2) 右法人成り以降株式会社昌慶苑につき税務調査が行われているが、同社がなした法人税確定申告につき修正が行われたのは、昭和四二年一一月一日より同四三年一〇月三一日までの事業年度分法人税において、金五六六、六二八円也を、いづみや、橋本精肉店よりの仕入リベートとして同社が処理していたものを、北税務署長より昭和四五年五月三〇日同社の従業員水野勝利に対する貸付金として更正処分をうけた一件のみである。従って法人成りした以後の株式会社昌慶苑の法人税確定申告書は同社の経営の実体を正確に表示していると認めるに充分である。

(3) そこで右同社の昭和四一年一二月二二日より同四二年一〇月三一日までの第一期、同四二年一一月一日より同四三年一〇月三一日までの第二期、同四三年一一月一日より同四四年一〇月三一日までの第三期、以上の各確定申告書に添付された損益計算書により原価率(売上高で売上原価を除したもの)をとってみると次の通りとなる。

第一期

売上高 七二、七二八、七八八円

売上原価 四一、二五四、三六三円

従って原価率は五六・七%

第二期

売上高 八一、三〇六、五五七円

売上原価 四九、三三五、七五〇円

従って原価率は六〇・六%

第三期

売上高 八八、一八六、八四四円

売上原価 四七、八八一、一九五円

従って原価率は五四・二%

そして第一、二、三各期の原価率を平均すると五七・二三%となる。

(4) ところで右にみた株式会社昌慶苑の売上原価は、朝鮮料理店の営業に必要な牛肉類(内臓等を含む)野菜類、酒、ビール、米その他いわゆる材料費をもって構成されているから、右原価率は売上に対する材料費率ともいいうるものであるが、この様な意味における原価率は、法人成りの前後によって変化があるものではない。即ち右原価率は売上単価と材料費の単価の、いづれか一方あるいは双方の異なる割合による変化がない限り変動はありえないものであり、いわゆる法人成りによって左右さるべき性質のものではないからである。

注 原価率と異なり、例えば、売上高に対する営業費(一般管理費及び販売費)の比率(いわゆる営業費率)等は本件も含め法人成りによって著しく異る場合がある。即ち本件の場合法人成りによって一般管理費および販売費が増加し、従って営業費率は増大しているがこれはたとえば法人成り後被告人は株式会社昌慶苑に対し店舗を賃貸することにより同社が被告人に賃料の支払をしており(各期損益計算書営業経費の内訳書のうち地代家賃欄参照)また被告人が同社の代表取締役として役員報酬の支払をうける(前同人件費欄参照)など個人経営時支出のなかった営業費が増加しているからである。そしてこの様な営業費の増加が、売上高に対する営業利益(売上高より売上原価並に販売費、一般管理費の合計額を差引いたもの)の比率を低下させることは勿論である。

(5) そこで昌慶苑が法人成りした昭和四一年一二月以降と昭和三八・三九年当時との両者間に原価率の変動がありうるか否かが次に問題となる。被告人は第五〇回公判において昭和三八・三九年に比し法人成り以降は売上単価、仕入単価ともに少しの値上りはあったものの原価率そのものの変動は殆どなかったと供述している。時間的にみても昭和三八・三九年度と法人成りした昭和四一年一二月以降は極めて接近しているので、売上単価、仕入単価の多少の上昇はあったとしても、原価率が著しく変動しているとは常識的にも到底考えられない、このことは法人成りした後の三期の原価率を対比してみても容易に理解しうるところである。即ち第一期の原価率は五六・八%であり、第三期の原価率は五四・二%であるから、中間に丁度一年(第二期)をはさんでいるのに両者には僅か二・五%の差があるのみである。

(6) 以上の諸事情に基き結論すれば、昭和三八・三九年度における昌慶苑の原価率は、法人成り後の三期間の原価率平均五七・二三%か少くともその最少値である五四・二%(第三期の原価率)を下るものではないと認めらるべきである。そして右原価率(既にのべた様に材料費率)はとりもなおさず売上高に対する仕入の割合を示すものである。勿論右原価率は厳格にいえば当期の売上に対応する原価(本件においては材料)の割合であって、右原価は必ずしも当期の仕入とは同一ではないから理論的には右原価率は常に必ず当期売上に対する当期仕入の割合を示すものとはいえない。然し昌慶苑の様に生鮮な肉、内臓等を主たる商品とする業種においては、長期に亘り商品を在庫させることは不可能であり、従って各期首、期末の棚卸高は殆ど同じであるから、当期における売上原価と、仕入は殆ど同一である。このことは法人成り後の三期間における昌慶苑の損益計算書によっても明らかである。即ち各期における仕入高は売上原価と一〇万円単価まで全く同一であり万円単価以下を若干異にするのみであるところ、この程度の差異は比率の計算上無視することができる。(ちなみに第一期においては仕入高と売上原価との差額が七八四、七八三円であるが、これは法人成りのため期首棚卸高が存在せず、期末棚卸高のみが存在したからである)

(二) 原判決認定にかかる売上原価率(昭和三八年度三九・七四%、昭和三九年度四一・五七%)が不正確であることにつき考慮すべき事情

(1) 昌慶苑に関する貸借対照表と損益計算書が、いわゆる不突合であることについて。

(イ) 大阪国税局が、昭和三八・三九年度における昌慶苑の所得調査をなすにつき損益計算書を作成したほか、貸借対照表も作成したものであることは疑をいれない。即ち大阪国税局において本件を直接担当していた大谷雄次郎は損益計算書を作成しこれを検察官へ送付した旨明確に証言している一方片山啓一証人は第三二回公判において損益計算書は作成したが貸借対照表は作成していない旨証言している反面(第三二回公判調書(供述)の表側のみに頁を打ってゆくと一四頁表)

問 本件についての貸借対照表の作成の問題ですが、損益計算と財産計算の両方やったということですね。

答 はい。

問 で、その結果、財産計算によった方が利益は少くなったという記憶はありませんか。

答 なったように思います。

と答えている(同二三頁表)即ち財産計産をやったということは、とりもなおさず貸借対照表が作成されていることを意味する。従って貸借対照表は作成しなかった旨の片山証言は全く信ぴょう性を欠くものである。

(ロ) ところで貸借対照表は利益計算を含め企業の営業実体を表示するものとしては最も重要なものである。即ち損益計算書は貸借対照表にかかげられた当期純損益なる一科目の内容明細書であり、従って貸借対照表の附随表であるとするのが我国商法の基礎的な考え方なのである。

商法第二八一条は株式会社につき貸借対照表と損益計算書双方の作成を義務づけているが、これはいわゆる原則に対する例外であり個人たると、法人たるとを問はず、ひろく商人に対し適用される商法第三三条が、商人に対し貸借対照表の作成義務を果してはいるが、損益計算書の作成義務を規定していないのはこの故である。

(ハ) そして商法第三三条がひろく商人に対して損益計算書作成義務を課せず、貸借対照表のみの作成義務を規定しているのはさらに一つ重要な理由に基く、それは会計技術上損益計算書よりも貸借対照表の方が作成容易であり、会計の専門知識にとぼしい零細な商人にとってすらその作成は困難ではないという事実である。一方株式会社につき貸借対照表、損益計算書双方の作成義務が課せられているのは本来商法は大資本を有する大企業としての株式会社を予定しており、この様な会社は会計の専門知識も有するところから財産計算、損益計算双方の併用により、その利益計算を確実ならしめることにある。

(ニ) 以上の如き観点より本件をみた場合、損益計算書、貸借対照表の双方が作成されてい乍ら、当法廷に損益計算書のみが提出され、貸借対照表が提出されていないということは極めて重大な意味をもってくるのである。所得税、法人税についていえば、凡そ国税当局は個人、法人その他をとはず、租税債務者の所得を計算し、これに対する所定の税を賦課徴収するものであるから、所得計算の最も優れた専門家であることはいうをまたないところである。然もその所得を捕捉するためには強制捜査権すら行使できるのであり、本件においても正に右強制捜査権が行使されている。

(ホ) 本項(ロ)(ハ)でのべた如く利益計算を含め企業の営業実体を表示するものとして貸借対照表は最も重要な表であり、然も損益計算書に比して作成が容易である上、事実の把握のため強制捜査権まで行使した国税当局が、損益計算書を作成している以上、これと同等もしくはそれ以上に精度の高い貸借対照表を作成できない筈がないのである。そして昌慶苑につき現実に作成された貸借対照表上の利益は損益計算書上のそれよりも少かったというのであるが、以上のべた様な諸事情よりみると、むしろ損益計算上の利益は不正確であり、財産計算上の利益がより正確なものというべきである。

(ヘ) 当時本件の担当者であった片山や大谷は貸借対照表は正確でない旨いろいろ理由をのべているが、それは本件において貸借対照表が提出されていないという関税当局側の不利に対する弁解であり本項(ロ)(ハ)(ニ)でのべた根拠よりみて甚だ信ぴょう性にとぼしい。

(2) 物量計算について

(イ) 昌慶苑の如き飲食店業においては原価率は材料の仕入高によって決定されることは既にのべた通りであるので、いわゆる物量計算は原価率の算出に当り決定的な重要さをもつているものであり、従って国税当局も昌慶苑の海外仕入の有無に関する調査の必要上物量計算を行っている。

(ロ) そして一般的に考えてみると、ロース、カルピ、内臓その他の材料につき一定の重さもしくは量の仕入のうち、商品とはならない部分(ロス)を除去し(仕入とロスの比を以下ロス率という)商品となりうる部分の重さもしくは量を算出し、両者の比をとることは容易に可能である、そしてこの様な比は季節的な変動は若干ありえても年度による変動はありえないのである。即ち昌慶苑の主要な取扱商品は肉、野菜等の生鮮食品であるから、例えば夏は腐敗し易いので商品とならない部分が増加する様なことはあっても、この様な変化は一年度内の季節的変化にとどまり、年度による変化とはなりえないからである。従って以上の如き比が把握されていれば、たとえ時期により仕入単価、売上単価に変動があっても、右変動にともなう修正をすれば売上高に対する仕入高の比を明確に算出することができる。

(ハ) ところで昌慶苑におけるロス率は第三九回公判調書(供述)木村英証人速記録末尾添付原価計算表(以下単に計算表という)ロス率記載の通りであり、これに昭和四〇年一一月と同年一二月の仕入単価、売上単価を乗じて原価率が算出されている。勿論各仕入材料毎の原価率は、その材料毎の売上高と仕入高の比を示すにすぎず、昌慶苑全体の原価率を示すものではない。然し昌慶苑はいわゆる朝鮮料理屋であるから、その売上高の中心をなすものは、ロース、カルピ、内臓、丸芯等の肉類であること明らかであるから昌慶苑の全体としての原価率は右肉類の原価率によって支配されること自明の理であるところ、右肉類の原価率は、薬味(丸芯については薬味、玉子)のそれを加えて、いづれも六〇%を越えている上、肉類を主原料とする料理以外のもの、即ち野菜五目飯、牛肉汁飯、白飯、ビール、特級酒等の原価率についても、法人成り後三期間の最低の原価率である第三期の五四・二%に達しないものは僅かに白飯(三六%)と特級酒(五〇%)にすぎない。そして昌慶苑の売上高の中心をなすものは前述の通り肉類であり白飯や特級酒はむしろ附随的なものであることを考慮すれば、昌慶苑全体の売上原価率は少くとも前記第三期の五四・二%を下るものでないことは明白である。

(ニ) そして原価率の算定に及ぼす物量計算の重要性を充分認識した上国税当局が行った物量計算に基く原価率は、むしろ前記計算表上の数値よりも大であったのであるから(第三九回公判期日における木村証言)前記計算表のロス率及び原価率はむしろ控え目であるものというべく措信するに値する。

(3) 貸借対照表、並に物量計算の結果が本法廷に提出されていない理由について。

(イ) およそ所得計算をなすに当り、貸借対照表並に物量計算の結果が決定的な重要性をもっていることは既にのべた通りであり、従って国税当局もまさに昌慶苑につき貸借対照表を作成し、物量計算も行っており乍ら、右二者はいづれも本法廷に提出されていない。そして本件の査察担当者であった片山、大谷両名は貸借対照表や物量計算の結果が昌慶苑の所得計算上余り役に立たない旨証言しているが、それは税務当局側の不利、更に具体的にいえば損益計算書の不正確さをかくす為の弁解にすぎない。

(ロ) 一般に損益計算書が作成された以上これと同等か、それ以上の精度をもつ貸借対照表が作成できない合理的理由は全く存しないこと既にのべた通りであるし、また物量計算についても大谷、片山両名がのべる様に決して困難なものではないからである。即ちロス率を算出する方法についても対象が肉類であるから常識的に商品となりうる部分となりえない部分を判別できるのが当然であり、従ってまづ昌慶苑側に材料より商品とならない部分を除去させ、不当に商品とならない部分を除去していると思はれる場合は査察担当官において指示し、正当と認められる除去をさせればよい訳である。そして査察担当官が、たとえばカルピにつき骨を除去すべきでないのにこれを除去してロス率を算出していたとすれば、物量計算の重要性にかんがみ、これを更にやり直すことも容易に可能な筈である。

(ハ) この様に利益計算上決定的な重要性をもち、かつ、その作成もしくは実施がさして困難ではなく、従ってそれ故にこそ国税当局が作成した昌慶苑の貸借対照表並に物量計算の結果が本法廷に提出されていないのは、損益計算書の不正確さをかくす目的以外にはありえないのである。

(4) 簿外仕入の有無に関する調査方法について

(イ) 国税並に検察当局が行った昌慶苑の簿外仕入の有無に関する調査方法は、主としていわゆる反面調査と、簿外仕入資金の出所の調査である。

(ロ) まづ反面調査は昌慶苑が主張する簿外仕入先に対する調査であるが、この様な意味における反面調査が可能なのは、右簿外仕入先の所在が判明している場合に限られることは自明の理である。即ち所在不明の仕入先に対する反面調査は実施不可能であるところ、昭和三八・三九年当時昌慶苑には、いわゆる問屋(名前も住所も判明しない仕入先)よりの仕入があり、この仕入は現金出納帳、支出明細綴等帳簿には記載されていない(第三七回並に第四三回公判期日各木村英証人の速記録各葉の裏右下に打たれている頁数で前者につき910後者につき2)のであるが、このような問屋よりの仕入については当然のことながら反面調査は全く行はれていない。

(ハ) また簿外仕入資金の出所についてであるが、前記片山は、金額の大小についての記憶はないが調査しても不明の入出金があった旨証言しており(第三二回公判調書(供述)の表側のみに頁を打ってゆくと二四頁の裏、二五頁の表)また前記大谷は、頼母子講の掛金が非常に多かったが、いついくらを被告人が落したか確認できなかった旨証言している。(第四四回公判調書(供述)裏側右下に打たれている頁二八)この様な頼母子講を落して入金したものがあると推認される事情があり、また不明の入出金がある以上、これらの金が簿外仕入に使用されている可能性は充分にある訳である。少くともこれからの金の使途が明確にされない限り簿外仕入に使用された可能性を否定することはできない。前記両名は、これら使用不明金、頼母子講の金の行方等が確認できなかったことが損益計算書と貸借対照表の不突合の原因である旨証言しているが、これは詭弁も甚だしいものである。即ちこれらの金の使途が明確でない限り仕入を含む経費に支出されたものか、或いは損益に関係なく、単に資産形態が変化したものにすぎないか(例えば現金もしくは預金が貸金に変化する)そのいづれであるかが不明なのであり、何等両者不突合の原因となりうるものではないからである。

(5) 国税及び検察当局に対する被告人並に木村英の供述の変化について。

(イ) 被告人は昌慶苑に対する国税当局の査察着手の当初より終始一貫して簿外仕入の存在を主張している。然も昌慶苑の行ってきた取引については整然かつ明瞭に記録計算されていたものではなく、むしろその反対であったから、数多くの簿外仕入につき、その資金の出所等を正確に記憶している筈がないことは容易に推測することができる。反面、商売にたづさわる者にとっていわゆる荒利益(即ち売上高と、これより仕入原価を控除した額との比であり、正確には売上総利益を指す)が何程であるかは最大の関心事の一つであり、従って如何なる商人でも売上高に対する仕入原価の比、従って荒利益の比は経験的に熟知しているものである。

(ロ) ところで本件査察により国税当局がえた範囲の資料での原価率が被告人や木村等が経験的に熟知している原価率とかなり相違していたところ、被告人が当局の査察当時相談していた古居税理士より、簿外仕入があったということを国税当局に認めてもらうためには、単に云うだけでは駄目であり、何か資料を必要とする旨いわれたので(第四三回公判調書(供述)一〇頁左より一一頁右)本項(イ)でのべた様に正確な記憶ではないのに、その資金出所につき種々の銀行預金名、払出金額等を適当にピツクアツプして経験的に知っている原価率となるよう辻妻を合はせようとしたことに基因するものであり、心情的には充分理解しうるところである。

(6) 同業他社の原価率について

(イ) 前記大谷証言によると昌慶苑の原価率を算出するに当り同業他社で、昌慶苑より先に査察をうけた食堂園の原価率を参考にしたが、原価率は食堂園よりも昌慶苑の方が低かった事実が認められる。

(ロ) 同業であっても仕入方法の相違(たとえば仕入先に出向いて仕入れるか、仕入先が持参するものを仕入れるか等)その他により原価率に若干の相違を来たすことは考えうるがいづれにせよ(イ)の事実は昌慶苑の原価率に関する検察官の主張通りではないことを推測せしめる事情の一つといいうる。

(7) 中小企業である飲食業の平均原価率について

(イ) 中小企業庁は中小企業の経営合理化における指導育成のための経営参考資料として、毎年中小企業者経営状況を調査し、経営の諸計数をとってこれを発表しているが、その文献は中小企業庁編の中小企業の経営指標(以下指標という)である。

(ロ) これによって飲食業の売上高対総利益率の平均をみるに昭和三七年度(昭和三八年版の指標に記載)は四四・二%であり、昭和三九年度(昭和四〇年版の指標に記載)は四三・〇%である。従って原価率は百より右数値を控除したものであるから、昭和三七年度につき五五・八%であり昭和三九年度につき五七・〇%である。勿論右原価率は多種多様の中小規模の飲食業につき行はれた調査に基くものであるからこれをもって直ちに昌慶苑の原価率とみることはできないが、昌慶苑の原価率が弁護人主張の通りであることを推認せしむべき事情の一つとはなりうる。

(8) 国税並に検察当局が行った反面調査に対してなした簿外仕入先の供述の信ぴょう性について

(イ) 簿外の仕入先を主体として考えてみた場合昌慶苑に対する簿外の売上があるということは自己の簿外所得を意味し従って自己に対する税が追徴される結果を招くことになるので、国税並に検察当局の取調に対しては必ずしも真実をのべない危険性があることは容易に考えうることである。

(ロ) 反面簿外の仕入先が真実をのべていても、当局がそれを真実として取りあげず、調書にも記載されない場合も考えうる。ここに於て強調したいのは第一四回公判期日における荒川トミ子の証言である。同人の右証人調書を熟読してみると同証人が取調検察官よりみせられたメモ記載の金額の倍額を実際に昌慶苑より受領しているのが真実である旨供述しているのに、これを不服とした検察官が、自己の見込にそった供述を得ようとして如何に無理な取調をしているかが生々しく実感されるのである。

問 それから検察庁で取調べの際にメモは実際にもらった金額の二分の一だということをあなたはおっしゃったのにどうしてそれが調書のうえにでていないんですか、そうゆうことをおっしゃったんですね。

答 確かに云いましたら机をたたいて怒られました。

問 どうゆう風に怒られました。

答 そんな馬鹿なうそをどうしてつくのかと云いました。だからこの伝票どおりいただいているということを正直に云うているのに、どう云うたらいいんですかと云ったらなんか机を雑誌かなんかでなぐって

以下数頁の証言をよんでみると取調検察官がその見込にそった供述をうべく机をたたいてどなり、偽証だとおどしている恰好が彷彿として眼前に浮んでくる。

右荒川証言は措信するに足る真迫力をもっている。

(9) 支払明細表綴、または現金出納控に記載されない仕入について。

(イ) この様な仕入があることは別に異とするに足りない事柄である。即ち被告人に対する木村の立場上、木村が被告人より預った金の使途を明確にし、被告人の納得をうる必要があったものであるところ、必ずしも右書類に記入するのみでなく右以外の書類により記録計算し、これを被告人に示すことによって、その納得をうることもできるからである。従ってすべての仕入が支払明細表綴または現金出納控に記入されていなければならないとする必然性はどこにもない。

(ロ) 木村証言によれば同人が被告人より預った金の使途については、支払の都度メモに書入れ、そのメモと釣銭(預った金より使用した金額を差引いたものを被告人に交付することにより記録計算して被告人の納得をえていたものであるが(木村英の第三七回公判期日における証言)被告人の経理的無知により、木村から交付をうけた右メモが二・三枚を除き散逸してしまったものである。(むしろ木村が右メモを更に被告人より返還をうけていたならば、前記支払明細表綴の様な形で同人は几帳面にこれを保管していたであろうし、従っていわゆる簿外とはならなかったであろう)。

(三) 結論

(1) 一般に税務訴訟においては、所得税における必要経費、法人税における損金といった所得金額計算上の消極的事由も含めて、課税標準についての立証責任が被告課税庁側にあるものとされている。

注 判例タイムズ 三一五号 三七頁以下

また刑事訴訟的にみても疑はしきは被告人の有利に解すべきこと勿論である。

(2) ところで原判決は昌慶苑の原価率につき検察官の主張をそのまま認定しているが、右認定にかかる昭和三八年度の原価率は三九・七四%、昭和三九年度のそれは四一・五七%である。一方昌慶苑が法人成りした後の原価率は(一)(3)でのべた通り第一期五六・七%、第二期六〇・六%、第三期五四・二%で、平均五七・二三%であり、最も数値の低いものでも五四・二%であって、前記原判決認定の原価率と著しく相違している。そして右法人成り後の原価率は充分に信ぴょう性をもつていること(一)(2)でのべた通りであるから、これと近接する昭和三八、三九年度の原価率が法人成り後のそれより著しく低いというのであれば、合理的疑を残さない程度に、その事実が立証される必要があり、このことは(1)の理論より誘かれる当然の帰結である。

(3) 然るに昭和三八、三九年度における検察官主張の原価率につき、貸借対照表上の利益が損益計算書上の利益よりも少く、同業他社の原価率が昌慶苑のそれより高いなどの事実を始め既に詳述した様な強い疑問があり、原判決の摘示する理由によってもなお合理的疑を充分に残している。従って昌慶苑の原価率は、法人成り後の平均値である五七・二三%か、少くとも最少値の五四・二%であると認定さるべきものであったのであり、この点において原判決には事実誤認があるといわざるをえない。

第二 簿外の経費について

弁護人主張にかかる簿外経費に関し、原判決が排斥した部分については、いづれも事実誤認と考えるが、特に原判決は、その別表(一)14・15につき、かりにそのような支出があったとしても、これを事業遂行上の必要経費として取扱うべきでないとしているが誤りである。たとえば密売するために仕入れた麻薬の購入価額など経費の支出行為自体が犯罪行為に該当するような反社会性の強い経費であるときは、右経費が控除の対象から排除されたとしてもむしろ当然であろうが、他面宅地建物取引業法の定める制限額を越えているため法律上支払義務のない不動産仲介業者への支払済報酬とか、利息制限法違反の制限超過利息の支払とか、その支払行為自体が犯罪行為に該当するような強い反社会性を帯有しない経費は税務上必要費として認定さるべきものである。

注 高松地裁 48・6・28 行裁例集二四巻六・七号五一一頁

そして前記別表(一)14・15の様な支払が現実に行はれたものであることは中山俊一、木村英、被告人の各供述によって明らかであり、又いわゆる水商売は営業政策上暴力団には弱く、つけこまれた場合は、いくらかの出費をせざるをえないことは常識化しているところでもあるが、これらの出費はそれ自体犯罪行為に該当するような強い反社会性を帯有するものとはいえない。ちなみに原判決別表(一)14・15は「暴力団への心付け」としているが、その実質は営業店舗(徳寿宮、昌慶苑)を暴力から守るための警備料(俗にいえば用心棒料)であることは前記各証拠上明らかであり、従ってその性質は経費である。

第三 佐藤文子、平山繁子、真山輝子に対する貸倒について。

原判決は被告人の右三名に対する貸付はなかったものと認定しているが事実誤認である。右貸付がなかった理由として原判決は関係者の供述が、くい違っている事実をあげているが、事実発生より相当期間経過している以上関係者の供述が完全に一致していることこそ、かえって不自然であり、むしろ若干の不一致部分があることの方が自然なのである。また、被告人が担保その他債権確保の措置もとらずに多額の貸付をしても、なんら異とするにたりない。即ち被告人がその信用状態等を知らない第三者に当初より多額の貸付をし、なんらの担保、その他債権確保の措置をとらなかったというのであれば成程異常である。然したとえば佐藤文子に対する貸付に例をとると。被告人は佐藤に金を貸し始めたのは昭和三〇年頃からであり、その金額も何一〇万円単位であり、その後継続して貸借関係があったが弁済期には必らず弁済がなされ、一度もトラブルがなかった上、被告人は佐藤の性格もよく知っており事業的にも佐藤はいわゆるやりてであり、この様な関係がら被告人は佐藤を信用していたというのである。(被告人の第四七回公判における供述)この様な場合、被告人が佐藤を完全に信用し、多額の貸付をしているのに、担保その他債権確保の措置をとっていなかったとしても、なんらあやしむにたりないのである。 以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例